« 都知事選 投票開始数時間前 | トップページ | 何度、同じ過ちを繰り返せば気づくのか・・・ »

4 16, 2007

国民投票法案の行方

今回一連の国民投票法案可決に関しては、いろんな事が錯綜していて、複雑になっている気はする。

単純に、憲法など国民に影響のある大事な判断に関して、国民が賛否を投票して決めると言う大前提の「国民投票」に関して、反対する人は少ないと思う。
それが、国民投票法案を政治の道具として扱われたり、「国民投票案=憲法9条改正の攻防」にだけ目が奪われ、、国民投票が実現すると戦争を認める憲法に変わるだのと騒ぐので、話がややこしくなっているイメージはある。

まあ、ある意味、与野党が政争の道具としているのと同じで、いわゆる「市民団体」が自分達のイデオロギーを主張する道具に使っているので、まともな国民投票法案論議になっているとは思えないのです。

 

「むちゃくちゃ」 抗議の声相次ぐ 国民投票法案採決

施行60年。憲法記念日を前に、改憲手続きを定める国民投票法案が12日、衆院憲法調査特別委員会で可決された。傍聴席や国会周辺では、慎重審議を求める声があがった。

 「こんなやり方があるか」「むちゃくちゃだ」。採決の瞬間、傍聴席から怒りの声が相次いだ。

 00年に衆参両院に作られた憲法調査会当時から傍聴を続けてきた平和遺族会全国連絡会代表の西川重則さん(79)は「最初から、狙いは戦力を持たないと決めた憲法9条2項を変えることだった。強行採決は、その本音がついに出たということ」と語った。

 同日夕、日比谷野外音楽堂で開かれた抗議集会では、共産党の志位委員長は「拙速を避けて徹底審議を求める国民の多数の声を与党は踏みにじった」と批判。社民党の福島党首も「民主主義を踏みにじり、憲法を変えるための国民投票法の成立を許してはいけない」と訴えた。

 弁護士らでつくる「国民のための国民投票法を考える会」は同日、全国30カ所の街頭で実施した意識調査の結果を公表。約1800人の回答のうち「審議が尽くされていない」との答えは63%で、「審議が尽くされた」は4%だった。

 改憲に必要な賛成数については、60%が「総有権者の過半数」とし、与党案の「有効投票総数の過半数」より厳しい成立要件を求めた。

    ◇

 故湯川秀樹博士らが結成した「世界平和アピール七人委員会」は12日、「投票率に関係なく有効投票数の過半数という決め方は適切でない」とする声明を発表した。

 民放労連も「政府や政党の思惑によって法案を拙速に成立させてしまうことは必ず将来に大きな禍根を残す」との抗議声明を出した。

asahi.com 2007年04月13日08時03分


最初にも言ったが、問題を分けなければ、本当にややこしい。



社民党の福島党首も「民主主義を踏みにじり、憲法を変えるための国民投票法の成立を許してはいけない」

これなんか、まさに意味不明なんですよね、まあ新聞記事で部分的に取り上げられた発言なのでヘンなのかも知れないけど。
それ以前に、社民党が言う民主主義って何なのか興味があるところですけど。(笑)

まあ、それをさっ引いても、憲法を変えるためには、国民投票が必要だと憲法に書かれているので、何かしらの形では必要なわけで。
それでもって、憲法を、より時代に沿った国民のための憲法に変えるために、国民投票法案が出ているわけで、社民党は憲法9条を変えられると脅迫概念に駆られて、簡単に憲法を変えられないように反対しているのだと思うが、この法案は9条だけでなく、憲法全般にも当てはまるので、「9条を変えられないようにする」=実質「憲法は変えるな」と言っているようなもので、そこに大きな矛盾がある。

戦後、先進国で憲法を一度も変えていないのは、日本ぐらいであり、同じ敗戦国のドイツなど30回以上も改正している。
つまり、戦後いつまでも憲法は不変ではありえず、変えるのは当たり前である、いつまでも「法解釈」でごまかすのでは限度があると思っている。
それが「憲法を変える国民投票法の成立は許せない」とか、何を言っているのか。
憲法9条に拘るあまり、日本の憲法も不可侵なものだと考えているようで。(笑)

 
あと、毎度出てくる話なのだが「審議が十分に尽くされていない」「慌てて強行採決する必要はない」なんですが、一応7年間は審議してきたようです。

つまり、「十分な審議」とは、どの状態になれば「十分に審議した」となるのか、その定義を教えて欲しい気はしますね。
個人的には、7年間の中身を知らないので、「十分かどうか」の判断は付きませんが、小田原評定だけ続けても意味はないわけで、どこかで結論を出すしかないわけです。

ただ、穿った見方をすれば、彼らの言う「十分な審議」とは、全員が納得行くまで、もしくは、自分達の主張が認められるまでと考えているようにも見えるので、それには付き合う必要は全くないとは思いますけどね。


 

平和遺族会全国連絡会代表の西川重則さん(79)は「最初から、狙いは戦力を持たないと決めた憲法9条2項を変えることだった。強行採決は、その本音がついに出たということ」と語った。

この手の話を読むたび思うんですが・・・
憲法9条を変えたいと思う国民がいる一方、この西川さんのように、変えたくない人も大勢いるのはもはや周知の事実で、それを決めるための国民投票なんじゃないのか、反対なら投票で反対に投じれば良いだけで、仮に最初から憲法9条を変えるつもりが与党にはあったかも知れないけど、それが強行採決反対の理由になるのか、イマイチ分かりません。

まあ、彼らのHPで主張を読めば、表現の自由を奪うとか、言論弾圧だとか言っている人もいる見たいなんですよね。
でも、君が代問題でもそうですし、このブログにも以前、高校教師だったか関係者が来ましたか、恐ろしいほどの偏った思想に、自分の世界観しか認めない人がいます。
そんな彼らが、自分達が子供に対し洗脳する事が出来ないのを、言論弾圧だとか言っているように思えるんだけど。


法案そのものには、いろんな問題があると言いたいのでしょうが、論点が違っているような気もしますね。


 

「最低投票率」

朝日新聞とかは、この国民投票法案に関しては、戦争体験者とか、平和団体とか、その「戦争」のキーワードがある人達の意見を記事に載せたり、そのキーワードの観点で反対記事を書くケースが多く、まあ感情的な反対論しか掲載していないケースが多い。
しかし、民主党もそうだが、多くの一般的な議論の分かれ目として、この最低投票率の話が出てくるケースが多い。
つまり、最低投票率を決めなければ、国民の50%しか投票しなかった場合、全体の26%の賛成さえあれば、74%が賛成していないのに憲法が改正されてしまうと言った意見ですな。



「投票率に関係なく有効投票数の過半数という決め方は適切でない」

これなんかも、その最低投票率の事を言っているんですけど、私は最低投票率は扶養だという考えです。

最低投票率を入れると言うことは、国民がこの問題を考え、判断する、議論する事が望ましいのに、投票して国民の意思表明をする前に、「棄権」が選択肢の1つが含まれるのは、どうかと考えるからです。

要は、憲法改正をする場合、その改憲案を国民全員が考え、判断するのが筋だと思うのですが、反対する立場の人は反対票を投じさせるよりも、棄権を薦めるだけで目的を達せられると言う点です。
国民全員で議論しよう、とすべきところを「何も考えずに、投票に行かないで」が選択肢として存在する事が、本末転倒だと考えます。


 
もっと言えば、賛成でも反対でも、中立でも(私は白票は認めるべきと言う考え)、真剣に考えて国民各人が導き出した結論なら、それはお互い尊重すべきだと思うのですが、日本の投票は権利であって、義務ではありませんが、その権利を放棄した人は、権利を行使した人達の結果に、異論や異議申し立てなど出来る立場にない、あくまでも投票結果は、投票した人達に一任したと考えるのが自然だと思っているわけです。


 
あと、投票最低率を入れなければ、政府はわざと国民の関心が集まらないように、複雑で難解な投票をサラリと行い、棄権率を高め、公明党のような組織票便りの投票にする不安もある、などと言う意見もみました。

まあ、確かに疑えばキリが無いのも事実ですが、本気でそんな事をする与党に、国民は怒りを覚えない物なんでしょうか?
国民が怒れば、当然次の選挙で自浄能力を出すのが本当の民主主義ではないのでしょうか?
それを、組織票だけに神経が集中し、木を見て森を見ずなどと良く言われますが、まさに大局(国民的な論議を喚起しない)を見失う事にならなければ良いのですが。


 
最後に、インターネットで調べてみましたが、国民投票を採用している国々において、最低投票率まで設けている国は、少ないようです。
個人的にも、国民投票を行う以上、国民はきちんと投票して賛否(保留)を表明すべきで、最初から得票最低率を作って棄権を有効票にする考えは、最初から議論を放棄しているようなものですね。


|

« 都知事選 投票開始数時間前 | トップページ | 何度、同じ過ちを繰り返せば気づくのか・・・ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/18447/14696156

この記事へのトラックバック一覧です: 国民投票法案の行方:

« 都知事選 投票開始数時間前 | トップページ | 何度、同じ過ちを繰り返せば気づくのか・・・ »