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4 29, 2007

何度、同じ過ちを繰り返せば気づくのか・・・

安倍首相が訪米する前に、一部のアメリカマスコミの取材で、慰安婦に関して「謝罪した」事も気に入らないのだが、その上、米下院議長だかに釈明したとか、もはや最低の外交戦略で、呆れるばかり。

自身の首相就任後、初の訪米で外交を成功させたい、その為に慰安婦問題は頭痛のネタだったというのは理解するが、沈静化を図るに謝罪という形に終始し、こちらが引くことで丸く収めようとする考えは、もはや誤った戦略だといつになったら気づくのであろうか。
私は小泉氏を応援していた1つの理由に、頑固なまでに主張を貫く、中国や韓国が何を言っても動じない、ブレない1本の政治理念を国民に示していたからこそであり、はっきり言って今の安倍には、外交上魅力は何もない。


前にも言ったが、日本の首相として、曖昧なと指摘されている部分を、きっちりと説明し、時にはアメリカのマスコミとディベートをきちんと行えるだけの外交官を連れて行くとか、ともかく「何かあればスグに謝罪する日本」「困った事があれば沈黙するだけの日本」から、「自分の立場をきちんと自分の言葉で説明する日本」「理不尽な対応にはきちんと反論する日本」と言った、主張する国家元首を期待したいですな。


 


http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2007042701148
2007/04/27-19:16 安倍首相「謝罪せず」と報道=韓国


 【ソウル27日時事】訪米した安倍晋三首相が米議会指導者との会談で、従軍慰安婦問題に関し「申し訳ないという気持ちでいっぱいだ」と表明したことについて、韓国の通信社・聯合ニュースは27日、安倍首相の用いた表現が謝罪のレベルに至っていないと批判的に報道した。
 聯合ニュースは米議会筋の話として、安倍首相が「sense of apology」を表明したと指摘。さらに、ワシントンの外交筋を引用し、この表現は英語には存在しないとした上で、「謝罪にははるかに至らないレベル」の発言だと伝えた。

まあ、予想された反応ですな。

マイクホンダも、全く謝罪など受け容れるつもりは無いようですし。
結局は、日本は首相が謝罪する事で、低姿勢になった事を示しただけで、余計に上から目線を正当化させただけで、今回の一連の慰安婦問題に関する謝罪は、ヘタすれば河野談話以上に情けない「事実」になるかも知れない。


 

分かり切った事ですが、韓国や中国ってのは、本当に謝罪なんて望んでいません

もし本気で謝罪など求めているならば、日本が歩み寄った時点で何らかの外交の成果が出ているはずですが、何もありません。
世界各国で問題や紛争などあり、様々な外交がありますが、歴史的にも外交上、片方が態度を示している時に何も変化が起きずに、さらにヒートアップする事など、私は今回の日本と中国・韓国のケース以外、知りません。

 

つまり彼らは、日本の首根っこを押さえつけて叱り、憂さ晴らしたいだけで、早い話、「謝罪しろ、反省しろ、歴史を捏造するな」と、叫んでいれば、それで満足なんです。

まあ、そう叫ぶことで、日本が謝罪したり、賠償金を出せば、さらに彼らの欲求はさらに満たされ、満足するでしょうが、今や彼らの目的は、お決まりの言葉を叫んで上から目線で日本を抑え、不満や鬱憤を晴らしたいだけですから、むしろ解決する事を望んでいない気がします。(笑)


 
その上で、「問題を沈静化させるのは、日本が下手に出て謝罪しておけば、嵐は過ぎる、その場は取り繕える」的な外交がいつまでも続くのが、政府と外務省の大きな国民に対する背任行為だと思いますね。

外交協定は、二国間の話とは言え、浪花節だけでは通用しません。

河野談話は、ある意味韓国政府や慰安婦の方に譲歩した形で、政治的な決着を計りに行ったものだったはずです。
ところが、ひとたび言葉が流れてしまうと、その言葉の裏にある「配慮、遠慮、譲歩」など全く意味を持ちません、
むしろ、この河野談話が意までは慰安婦問題の大きな根拠となってしまっております。

日本は、過去に何度が同じような事で煮え湯を外交で飲まされてきたはずだ、なのに、何も進歩していない。


 
中国の毒ガス回収もそうですね、うやむやのうちに、人道的立場で日本がお金を出して回収してやれば、今度は中国からの請求は天井知らずで増えていき、相変わらず毒ガスは日本軍が残したもの、と言う誤った情報が消えない。
そのうち、日本が資金を出して回収している行為が、その日本が自分で罪を認めている証拠だと言われても不思議じゃないでしょう。

友人や親子兄弟の間なら、人情や浪花節で助けてやる事もいいでしょう。
でも、一度他人に対し言葉を発してしまうと、いくら好意的な理由で発した言葉であっても、第三者や他人に取って見れば、その言葉に意味が出てしまうものです。

どうしても頼むから、迷惑を掛けないと言う約束で、保証人がいないと会社が潰れると言うので、保証人になっただけや、といくら後から叫んでも、保証人になってしまうと、そんな戯言意味がありません、ただ保証人になったと言う事実だけで、どんな同情的な理由があろうとも、裁判所も国も「あんたが支払え」と言うだけです。


一連の慰安婦問題など、これと同じです。
一度、政治的な判断で謝罪してしまえば、どんなに正論を吐いても、どんなに相手のメンツを考えた政治的な判断だと説明しても、「謝罪した」という事実は一人歩きして、最初に口に出した人の意志には全く関係ありません。

櫻井よしこさんも仰っていますが、どこかで悪循環の連鎖を断ち切らなければならないのに、相変わらず臭い物には蓋をするだけの、小手先でその場限りの外交をしているから、何時までも問題が解決しない上に、さらに泥沼化していくだけだと、私も思いますね。
今の安倍さんは、最低の外交戦術を繰り返しているだけだと思うけど・・・実は誰も気づかない、百年の計を実行しているのであれば素直に私は謝りますが、どうでしょうかねー。


こんな事態なのに、民主党はまだ小沢が党首しているんですかね?
日本が、国民が大変な時期なのに、いつまでも政局をおもちゃにする人を、党首に据えているんでしょうねぇ・・・
民主党は、本気で政権を握る二大政党を目指しているんでしょうか?
こっちも、安倍ちゃんの外交以上に、何度も同じ過ちを繰り返すだけですね。(笑)

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4 16, 2007

国民投票法案の行方

今回一連の国民投票法案可決に関しては、いろんな事が錯綜していて、複雑になっている気はする。

単純に、憲法など国民に影響のある大事な判断に関して、国民が賛否を投票して決めると言う大前提の「国民投票」に関して、反対する人は少ないと思う。
それが、国民投票法案を政治の道具として扱われたり、「国民投票案=憲法9条改正の攻防」にだけ目が奪われ、、国民投票が実現すると戦争を認める憲法に変わるだのと騒ぐので、話がややこしくなっているイメージはある。

まあ、ある意味、与野党が政争の道具としているのと同じで、いわゆる「市民団体」が自分達のイデオロギーを主張する道具に使っているので、まともな国民投票法案論議になっているとは思えないのです。

 

「むちゃくちゃ」 抗議の声相次ぐ 国民投票法案採決

施行60年。憲法記念日を前に、改憲手続きを定める国民投票法案が12日、衆院憲法調査特別委員会で可決された。傍聴席や国会周辺では、慎重審議を求める声があがった。

 「こんなやり方があるか」「むちゃくちゃだ」。採決の瞬間、傍聴席から怒りの声が相次いだ。

 00年に衆参両院に作られた憲法調査会当時から傍聴を続けてきた平和遺族会全国連絡会代表の西川重則さん(79)は「最初から、狙いは戦力を持たないと決めた憲法9条2項を変えることだった。強行採決は、その本音がついに出たということ」と語った。

 同日夕、日比谷野外音楽堂で開かれた抗議集会では、共産党の志位委員長は「拙速を避けて徹底審議を求める国民の多数の声を与党は踏みにじった」と批判。社民党の福島党首も「民主主義を踏みにじり、憲法を変えるための国民投票法の成立を許してはいけない」と訴えた。

 弁護士らでつくる「国民のための国民投票法を考える会」は同日、全国30カ所の街頭で実施した意識調査の結果を公表。約1800人の回答のうち「審議が尽くされていない」との答えは63%で、「審議が尽くされた」は4%だった。

 改憲に必要な賛成数については、60%が「総有権者の過半数」とし、与党案の「有効投票総数の過半数」より厳しい成立要件を求めた。

    ◇

 故湯川秀樹博士らが結成した「世界平和アピール七人委員会」は12日、「投票率に関係なく有効投票数の過半数という決め方は適切でない」とする声明を発表した。

 民放労連も「政府や政党の思惑によって法案を拙速に成立させてしまうことは必ず将来に大きな禍根を残す」との抗議声明を出した。

asahi.com 2007年04月13日08時03分


最初にも言ったが、問題を分けなければ、本当にややこしい。



社民党の福島党首も「民主主義を踏みにじり、憲法を変えるための国民投票法の成立を許してはいけない」

これなんか、まさに意味不明なんですよね、まあ新聞記事で部分的に取り上げられた発言なのでヘンなのかも知れないけど。
それ以前に、社民党が言う民主主義って何なのか興味があるところですけど。(笑)

まあ、それをさっ引いても、憲法を変えるためには、国民投票が必要だと憲法に書かれているので、何かしらの形では必要なわけで。
それでもって、憲法を、より時代に沿った国民のための憲法に変えるために、国民投票法案が出ているわけで、社民党は憲法9条を変えられると脅迫概念に駆られて、簡単に憲法を変えられないように反対しているのだと思うが、この法案は9条だけでなく、憲法全般にも当てはまるので、「9条を変えられないようにする」=実質「憲法は変えるな」と言っているようなもので、そこに大きな矛盾がある。

戦後、先進国で憲法を一度も変えていないのは、日本ぐらいであり、同じ敗戦国のドイツなど30回以上も改正している。
つまり、戦後いつまでも憲法は不変ではありえず、変えるのは当たり前である、いつまでも「法解釈」でごまかすのでは限度があると思っている。
それが「憲法を変える国民投票法の成立は許せない」とか、何を言っているのか。
憲法9条に拘るあまり、日本の憲法も不可侵なものだと考えているようで。(笑)

 
あと、毎度出てくる話なのだが「審議が十分に尽くされていない」「慌てて強行採決する必要はない」なんですが、一応7年間は審議してきたようです。

つまり、「十分な審議」とは、どの状態になれば「十分に審議した」となるのか、その定義を教えて欲しい気はしますね。
個人的には、7年間の中身を知らないので、「十分かどうか」の判断は付きませんが、小田原評定だけ続けても意味はないわけで、どこかで結論を出すしかないわけです。

ただ、穿った見方をすれば、彼らの言う「十分な審議」とは、全員が納得行くまで、もしくは、自分達の主張が認められるまでと考えているようにも見えるので、それには付き合う必要は全くないとは思いますけどね。


 

平和遺族会全国連絡会代表の西川重則さん(79)は「最初から、狙いは戦力を持たないと決めた憲法9条2項を変えることだった。強行採決は、その本音がついに出たということ」と語った。

この手の話を読むたび思うんですが・・・
憲法9条を変えたいと思う国民がいる一方、この西川さんのように、変えたくない人も大勢いるのはもはや周知の事実で、それを決めるための国民投票なんじゃないのか、反対なら投票で反対に投じれば良いだけで、仮に最初から憲法9条を変えるつもりが与党にはあったかも知れないけど、それが強行採決反対の理由になるのか、イマイチ分かりません。

まあ、彼らのHPで主張を読めば、表現の自由を奪うとか、言論弾圧だとか言っている人もいる見たいなんですよね。
でも、君が代問題でもそうですし、このブログにも以前、高校教師だったか関係者が来ましたか、恐ろしいほどの偏った思想に、自分の世界観しか認めない人がいます。
そんな彼らが、自分達が子供に対し洗脳する事が出来ないのを、言論弾圧だとか言っているように思えるんだけど。


法案そのものには、いろんな問題があると言いたいのでしょうが、論点が違っているような気もしますね。


 

「最低投票率」

朝日新聞とかは、この国民投票法案に関しては、戦争体験者とか、平和団体とか、その「戦争」のキーワードがある人達の意見を記事に載せたり、そのキーワードの観点で反対記事を書くケースが多く、まあ感情的な反対論しか掲載していないケースが多い。
しかし、民主党もそうだが、多くの一般的な議論の分かれ目として、この最低投票率の話が出てくるケースが多い。
つまり、最低投票率を決めなければ、国民の50%しか投票しなかった場合、全体の26%の賛成さえあれば、74%が賛成していないのに憲法が改正されてしまうと言った意見ですな。



「投票率に関係なく有効投票数の過半数という決め方は適切でない」

これなんかも、その最低投票率の事を言っているんですけど、私は最低投票率は扶養だという考えです。

最低投票率を入れると言うことは、国民がこの問題を考え、判断する、議論する事が望ましいのに、投票して国民の意思表明をする前に、「棄権」が選択肢の1つが含まれるのは、どうかと考えるからです。

要は、憲法改正をする場合、その改憲案を国民全員が考え、判断するのが筋だと思うのですが、反対する立場の人は反対票を投じさせるよりも、棄権を薦めるだけで目的を達せられると言う点です。
国民全員で議論しよう、とすべきところを「何も考えずに、投票に行かないで」が選択肢として存在する事が、本末転倒だと考えます。


 
もっと言えば、賛成でも反対でも、中立でも(私は白票は認めるべきと言う考え)、真剣に考えて国民各人が導き出した結論なら、それはお互い尊重すべきだと思うのですが、日本の投票は権利であって、義務ではありませんが、その権利を放棄した人は、権利を行使した人達の結果に、異論や異議申し立てなど出来る立場にない、あくまでも投票結果は、投票した人達に一任したと考えるのが自然だと思っているわけです。


 
あと、投票最低率を入れなければ、政府はわざと国民の関心が集まらないように、複雑で難解な投票をサラリと行い、棄権率を高め、公明党のような組織票便りの投票にする不安もある、などと言う意見もみました。

まあ、確かに疑えばキリが無いのも事実ですが、本気でそんな事をする与党に、国民は怒りを覚えない物なんでしょうか?
国民が怒れば、当然次の選挙で自浄能力を出すのが本当の民主主義ではないのでしょうか?
それを、組織票だけに神経が集中し、木を見て森を見ずなどと良く言われますが、まさに大局(国民的な論議を喚起しない)を見失う事にならなければ良いのですが。


 
最後に、インターネットで調べてみましたが、国民投票を採用している国々において、最低投票率まで設けている国は、少ないようです。
個人的にも、国民投票を行う以上、国民はきちんと投票して賛否(保留)を表明すべきで、最初から得票最低率を作って棄権を有効票にする考えは、最初から議論を放棄しているようなものですね。


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4 08, 2007

都知事選 投票開始数時間前

選挙期間中は、敢えて話題にしなかったが、記事も随分と更新しておらず、前夜・・・と言っても、後数時間で投票開始なので、そろそろ話題にしても良いでしょう。
どうせ、このブログで何を書こうが、そんなに影響は無いけどね。


基本的には、浅野氏は都知事選立候補してから、私の内部では彼に対する評価は、下がりっぱなしで、最近ではストップ安で買い戻す気配など全くゼロで、今やアウトオブ眼中の存在ですね。
そもそも、彼の支援団体、市民団体からして、私から見れば「浅野を応援するとヒドイ目に遭う」と言っているようなもので、少なくとも社民党と組んだ時点で、私の頭の中からはキレイに消えました。(笑)
今回立候補していなければ、きっと今後もそれなりに彼の意見に耳を傾ける事もあったでしょうが、まあ森永卓郎レベルのように、彼が口を開いても、私には何も響くことがないでしょうね。


 
オリンピック誘致は、私は別に賛成でも反対でも無いんですが、要は確かに今回は国政ではなく、地方選挙ですけど、日本の首都東京の知事ですからね、日本国民の事を考えた政治をまずはして欲しいわけで、その点で力不足でした。

石原都知事も、2期都知事を務め、スキャンダルなどあってもなお、そこそこ支持率もある人のあとを受け継ぐのですから、個人的には与党第一党推薦ならば、その石原都政を基盤に、如何に改革をして行くかを期待するのですが、社民党や民主党のお歴々の方の話を聞いていると、石原都政を真っ向から反対し、何か病気に掛かったいるかのように騒いでいるだけで、浅野氏の評価もそうですけど、民主党の評価も、個人的には相変わらず安値更新中って感じです。

自分が当選するため、相手の足をひっぱう意味で、批判のための批判ってのは、私の内部では唾棄すべき行為で、まずは前任者に敬意を表し、評価すべきことは評価し、その上で改めてさらに良い環境にするなら、こうする、と言ったマニュフェストが良かったんですが、他人を素直に評価出来ない人間が、他人を批判する資格なぞあるのか、って気がしますね。


 
正直な話、浅野氏に投票するぐらいなら、共産党の吉田万三氏の方がマシですね。
筋は通っているし、ブレが無いし、主張ははっきりしている。
まあ、それが共産党の良さとも言えるけど。


 
今年の参院選は全く暗い気分で投票する事になりそうです・・・
これまた正直に言えば、今の安倍さんに魅力はほとんどありません。
今の安倍さんが相手では、自民党に投票する価値があるのかどうか、個人的には計りかねてはいます。
ただし、もっと悲惨なのは、そんな自民党を見捨てた場合、どこを応援すればよいのか・・・見渡した場合、どこもない・・・


本来なら、民主党が自民党に取って代わるのを期待していました。
だからこそ、口を酸っぱくして、このブログでも民主党を厳しく扱って、何とか二大政党の一翼を担うまでに成長して欲しかった、期待していました。
一時期は、相手があの小泉さんであっても、将来の二大政党のために、民主党に投票させてもらった事もありました。
しかし・・・・・・・・・・・

私が恐れていた事が現実になっている。
今の自民党なら、他の方がマシだ、と思いたくなる時もあるのに、その他がいない。
もっと悲しい現実に、民主党にいれるぐらいなら、共産党の方がマシかもしんないよな? って時々思うことがある。

自民党に投票する価値が見えない、でも、他の党に投票するぐらいなら、自民党しかない、ってのが現状。
これは本当に悲しい現実です、多くの日本人が私と同じ思いをしているなら、やはり日本国民は不幸なんでしょうね。


 
よく、今の自民党政権を変えるために、ともかく自民党以外に政権を執らせなければならない、何も政治をやらせないうちに、否定してはダメだ、政治をともかく変えよう、民主党に入れよう! って叫ぶ人達がいるってこと。

ため息が出ます。
まあ、分からないでもない、私も若い頃は同じ考えで、ともかく20代から30代は反自民党にばかり投票していました。
少々、公約がとんでもなくとも、当時の自民党政治に吐き気がして、自民党以外に変えるのが先決だ、と思いこんでいた時期がありましたからねぇ・・・真面目に、社会党や共産党にも入れた。(笑)

ところが、変化しだしたのは、日本新党から新進党の時代と、村山内閣が発足し、社会党が解体されるのを見てきたからかな。
特に、社会党ってのはキャビネット内閣(影の内閣)も作っていましたし、与党批判だけは立派なものですから、土井たか子のマドンナ旋風もあったり、信頼して投票した人もいたでしょうが、その結果が、村山内閣発足したとたんに、社会党が崩壊しました。

そこから、個人的には批判するだけなら誰にでも出来る、批判するなら代案を持ってこい、と言う考えが主流になってきたと思いますね。
批判のための批判って言葉も関係しますが、批判するには何が問題で、どんな解決がよりベターなのかを明確にするためにも、代案が必要だと言う意見は増えたと思います。


もっとも、忘れましたが、誰かが(国会議員)「代案が無ければ批判出来ないのは、強者の口封じだ、弱者でもおかしいことにはすぐに批判していいはずだ」と言った人も居ましたっけ。

責任のない一般人はそれでも良いですよ、あと、議論する前段階で討論会とかは。
でも、政治家が国会で堂々と政策論を批判するのであれば、きちんと問題点を指摘し、解決する他の手段を出せなくて、どうして政治家が務まるのでしょうね。
早い話が、「福祉は大切だ」という大テーマに異存は誰もないだろうが、でも実際には福祉に湯水のように予算を注ぎ込むことは出来ないのは当たり前で、ならば何を犠牲にするのか、その犠牲はどのような観点で妥当か、と言う議論を経て、代案を持って反対すべきで、単に「ハンターイ」で叫んでいればおしまいの政治はいらない、ってのは当たり前だろう。


 
話は戻りますが、私個人の中では、村山内閣と河野官房長官は歴代最悪コンビで、今回のアメリカ下院での従軍慰安婦問題も、彼らが政権に居なかったら、今回こんな事もなかったし、外交面において出来れば消したい汚点となって、10年以上経過した今でも苦しめているんです。
それを考えると、「誰もが最初は経験不足、まずはやらせてみよう」よか「ともかく変革が必要だ」という意見は、その交代する選手に、それだけの資格とレベルが無ければ、将来にまで禍根を残す結果になる、って事を気づかない、ちょっと危険な考えだと思っています。


 
ともかく、あと数時間で投票が始まる都知事選挙は、誰になるんでしょうね、浅野氏でないことを願っています。(笑)


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