« 2006年2月 | トップページ | 2006年4月 »

3 23, 2006

1%の可能性を実現した優勝

実は、前回の記事を書いていた時、熱が37.5度ほどあったのですが(あれは、19日の日曜日の夜に書いた)、その後熱が38.8度まで上がり、インフルエンザにかかったようです。(と言うのも、1週間前から、家内→息子とインフルエンザAが移っていたので、私にも移ったのだろうと思った)

月曜日、火曜日とずっと寝て過ごしました。
もっとも、そのおかげで、本当は、息子の親子サッカーに参加する予定だったのが、WBCの決勝戦をゆっくり寝るコトが出来ましたけど。(笑)
おまけに、1回表にいきなり4点ですからねー、病床であっても(まだ熱が38度近くあった)、安心してゆっくり見ていられましたねぇ、どの試合もこれほど余裕を持って進められていたら、また違ったのに。


 
ともかく、日本のWBCチャンピオン、おめでとうございます。

2次予選で韓国に敗れ、1勝2敗になった時は、王監督の言葉ではありませんが、99%諦めていました。
まず、あのアメリカがメキシコに負けること、仮にメキシコが勝っても、アメリカから2点を取ること(1次予選では2塁すら進めなかった完封負け)の条件の厳しさを考えれば、多くの国民が本音で諦めていたところからの、はい上がり(と言っても。準決勝は自力じゃないけど(^^;)だっただけに、1%の可能性を現実のものにしてしまった、素晴らしい奇跡の優勝だと言えるでしょうね。


 
王監督にも冷たいことを言いましたが、2次リーグで韓国に敗れたあとの準決勝の韓国戦、あのときは何かが吹っ切れたんでしょうな。
イチローが志願したコトもあって、打順をいじらなかったのが、ついに3番に置いたり、福留を外したり。
短期決戦・・・と言うよりは、もう1試合だけのガチンコ勝負ですから、思いっきりが必要だったところですから。

まあ、7回で無死二塁の場面で、5番の多村にバンドなど、疑問もあった(私なら、終盤の7回で1点勝負は目に見えているので、代打宮本で確実に送って来るかと思った)のですが、これが結果的に、福留の2ランと宮本をここで使わなかったので、4点目のタイムリーに繋がったのだし、何をやっても上手くいったような印象も受けました。(笑)

マジな話し、短期決戦には韓国のような「勢い」も大事ですが、「運」もそれ以上に大事ですからね。
私の好きな闘将西本は、9回もリーグチャンピオンになりながらも、王、長嶋の巨人や、江夏の広島に敗れて、1度も日本一になれなかった、まさに「悲運」の監督でした。
それを思うと、アメリカVSメキシコ以後の、王貞治という人物の運の良さは、何に例えたら良いのでしょうか。


本当に脱帽しました。
采配には疑問はありましたが、運という要素は誰よりも強かった、と言う意味では、確かに人選では「結果論」としては間違いなかったですね。
相応しくない、と言うような事を言いましたが、お詫びします。
やはり、プロなんだから、出る以上は結果ですから、運だろうが何だろうが、勝ったものが一番エライんですよね。
(反対に言い換えれば、いくら強くとも、負けては意味がないんだけど)


 
ただ、王監督も運だけじゃなく、もしかしてここ2年間の、パリーグのプレーオフと、今回のWBCの地獄の3敗を経験した事で、短期決戦の極意というか、戦い方のコツも掴んだのかも知れませんね。
それは、今シーズンのパリーグのプレーオフで楽しみにしています。


それにしても、今更ながら、1勝分のアドバンテージって本当に導入されたんでしたっけ?
意味無いですよねぇ、こんなの韓国が1次、2次と6連勝だったんだから、決勝リーグでは2点ほどアドバンテージをもらって試合すべきだ、なんて主張と同じような印象を受けます。

野球の緊迫した試合ってのは、プレーオフの短期決戦ならでは感覚があってこそだし、長期戦と短期戦の戦いは違う物だと、誰もが知ってくれたはずなんで、それぞれの楽しみ方も興味も国民が持つようになったかも、と期待できるのに、早まったよな、と言う感じ。

ともかく、世界一という誇りを胸に、次回2009年のWBCまで、お互いが切磋琢磨して技術に磨きを掛けて欲しいですな。

本当に、おめでとうニッポン!!


PS:長嶋ジャパンとか王ジャパンとか、本当にこんな言い方止めようよ>マスコミ


| | コメント (0) | トラックバック (0)

3 20, 2006

本当の野球を忘れたアメリカ


またもやWBCネタで申し訳ない。

まあ私はスポーツ全般は、大抵は好きなのだが、年齢的に、私は王、長嶋巨人時代で育った事もあって、野球は特に思い出深いと言うか、親しみがある。
また、神戸に住んでいた事もあり、高校野球を見に(外野席はタダ)甲子園に何度か足を運んだ事もあり、高校野球も好きという意味においては、洗練されたプロではない、泥臭い野球の面白さも好きなタイプですな。

それだけに、各チームの4番打者を揃えただけの戦略性を感じない、アテネ五輪の日本代表や、今回のアメリカの惨敗、ドミニカの準決勝敗退には、一言は言いたいですね。


 
アメリカでは、アメリカやドミニカが大リーグ選手が多く、優勝候補筆頭だと見ていたようだが、確かに、個人の素質、戦力だけを見れば間違いなく、この2カ国は、現在の世界のトップ2である事は間違いないでしょうね。
どれほどイ・ヨンスプがWBCでホームランを打とうとも、多彩で高レベルでの大リーグで、年間50HRや100打点など打てる保証にはならないだろうし、その意味では、レベルの高い大リーグであれだけの成績を残す選手を揃えたのは、スキルだけは相当なもので、優勝候補と言われた事も不思議ではなかったでしょう。


しかし、何度も私はここで言って来ましたが、野球ってのは個人競技ではなく、集団競技であり、個々の力が組織力としてまとまって発揮できなければ、それは単なる寄せ集めにしか過ぎないのです。
アメリカの南アフリカ戦のように、ツボにはまれば怖い打線も、打線が繋がらなければ意味が無く、本人達も言っていましたが、ただでさえ、レベルの高い投手から打つのは困難なのに、ましてや初めて見る投手から、そう簡単に打てるはずがない、と言う言葉通り、いくらトッププロを並べても、烏合の衆であっては実力が発揮できないのは、ある意味スポーツの世界だけではないでしょうな。

で、それを証明したのが、今回のWBCだと思っています。
個々の選手のスキルに頼った選手構成は、世界大会レベル、特に短期決戦を行う試合形式には、それほど重要でない事を、世界に向けて再確認させたようなものです。
選手を寄せ集め、それをまとめる指揮官が存在で、チームの戦術性の欠落し、組織力を高める為の練習の少なさなど、まさにこれで勝ったら、野球のレベル、底が知れてしまう・・・そんな見本市のようなものです。


 
ただ、各チームのトップレベルの選手を集めれば、世界でトップリーグで活躍しているんだから、負けるはずがない、と言う安易な発想を持っていたのは、野球関係者だけでないんですな。
NBAのバスケットも、現在同じ境遇に陥っています。

バスケットの場合、さらに致命的なのは、1992年だったか、バルセロナ五輪で初代ドリームチーム、M.ジョーダンやM.ジョンソンなど一流選手を集めて、圧倒的な強さで金メダルを奪った事があります。
これが原因で、トッププロさえ集めれば、あとは彼らが自分達で優勝を運んでくれるものなんだ、と言う誤解が関係者には芽生えてしまったのかも知れません。
時代が流れて多くの選手の意識も変わり、環境も変わった事のに、未だに同じ事を続け、アメリカはついに優勝どころか、準決勝にも残れないほど遅れてしまっています。

本気で勝つ気があるなら、選手のスキルだけに頼らず、コンビネーションなど多用する、本来のバスケットを見せてくれるような組織力を作るしかないんですが、今年はどうでしょうか・・・
アメリカのプロは、オーナー達は選手を、国家のために(選手はアメリカ人だけとは限らない)、高い報酬を出しているのに、シーズンを休ませて、そんな大会に出させるのを嫌う人は多いですからね。
選手は選手で、ケガを怖がりますし。


余談ですが、正直今回のヤンキース松井などの態度は、気に入らないし、幻滅しています。
サッカーがあれほど世界で盛り上がっているのに対し、野球は五輪競技からも外されてしまい、世界の野球人気や、興味そのものに危機感を持っていたはずです。
サッカーの場合、ワールドカップで国代表に選出されて、シーズンを理由に辞退する話など聞いたことがない。
将来、日本にいる子供達が世界の野球環境に恵まれるように、WBCにどんな不平不満があろうと、参加すべきだった、と私は思っています。

まあ、辞退するからには、個人のいろんな理由があるんでしょうけどね、同時にアメリカでオープン戦出場している彼らを見ると、どうも、日本代表として頑張っている選手に比べ、こいつらは一体何を思っているのかと、嫌いにはなりましたな。


 
ま、ともかく。
日本は、アテネ五輪で今回のアメリカのような失敗をやった、だから、少しは変われた。
もっとも、指揮官に関しては、能力重視よりもカリスマ重視にしている点で、少し気に入らないけど、まあ韓国戦の連敗を、メキシコが救ってくれた点と、その強運に恵まれた指揮官と言うことで、第1回は決勝まで行けたのだから、結果オーライでヨシとしてもいいでしょう。

でも、次回はもう少し考えて欲しいですな。
アメリカだって、これで懲りたら少し本気モードに入る気がします。
今回のように、チンタラやっているようでは、勝ち上がれません。
さらに、韓国は6勝1敗で決勝に進めないのに、日本は5勝3敗で、しかも韓国に2敗しているのに決勝に行くのはおかしい、と一部では叩かれております。
システム上、何ら恥じることは無いのですが、実際、メキシコがアメリカに2点取って勝つなど、誰も確信していなかった状況があったこその、そのおかしなシステムになっているのであって、次回は正々堂々、陰口をたたかれないような成績で、勝ち上がって欲しいものです。


 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

3 17, 2006

バカバカしくて怒る気にもなれん

WBC、またまた日本は負けましたな。
しかも、韓国に2度目の敗戦で、もはや準決勝は絶望的。

今日も先ほど帰ったばかりで、明日も仕事だし、ちょこっとだけ書くつもりだが、スポーツの話し、特に自分の力を発揮できずにダラダラと負けるような展開には、むかっ腹が立つばかりで、いくらでも書けそうなので、案外、丁度良いかも知れない。(笑)


 
ともかく、アメリカ戦は不運もあったが、韓国戦に至っては2試合で3点だけ、しかもそのうち2点はソロであり、連打で点を上げたのは1次予選の1回ウラの攻撃だけなので、17イニングスは全く打線が繋がなかったわけだ。
おまけに、試合の前半はそこそこ安打も出たけど、決定打が無くて後半に相手に点を取られて、どちらもヒット数は日本が韓国を上回っているのに、特に今日は韓国はたったの3安打で、日本は6安打で相手はタイムリーの2点で、日本はソロだけ。

1次予選と、2次予選、全く展開が同じで、ヒット数が多いのも日本、でも最後は負けてしまう辺り、こんなの選手の責任ではなく、完全にチームとして機能していない以上は、やはり私は指揮官の責任が重大だと思っている。

そりゃ、日本は松井や城島など、本当の意味での全日本ではなかったが、んなもん、野球は一人でやるもんじゃないし、ある程度のメンバーを集めたんでしょうから、それで負ける言い訳にはならない、んなこと当たり前。


 
パリーグのプレーオフ導入の時から何度も書いたが、短期決戦はペナントのような戦い方とは全く異質なものだ。
実質、3年間は日本一の戦力を持ちながら、プレーオフに勝てなくて日本シリーズにも出られない、それが王監督だったわけだが、ここまで短期決戦が弱いとなると、笑い事じゃない気がする。

もちろん日中は仕事なので、試合は見ていないが、ニュースで見ているだけで、王監督が短期決戦に弱いのが分かる気がする。
そもそも、「すばらしいピッチャーとあたると得点するのは難しい。」と言ったそうだが、そんなものWBCの二次予選で、相手は大リーグ級を並べているんだから当たり前だ。

ペナントなら、王監督のコメントも分かる、良い投手に良いピッチングされればお手上げだ、で負けるにしてもこちらも次に何か繋がる負け方をすれば良いのであり、130試合もあれば、そんな試合(相手の投手の出来が素晴らしい)もあるさ、で片づく話で、むしろ長期戦を忘れて、いろいろこねくりまわして、ムリして戦えば、後々まで影響を引きずる事もあり、流れに身を任せるのが正しい事もあろう。

しかし、ここは短期決戦。
「相手の投手の出来がええなぁ、今日は打てそうもないなぁ」で終わってはダメな試合なのも当たり前。
相手の投手の最高の出来を予想して、ムリしてでも何とかして点を取りに行く戦法、戦術を考えるのが短期決戦であるはずで、点を取るのが難しいのは最初から承知で臨んでいるはずであり、敗戦の弁で「良い投手から点は取るのは難しい」と言っている時点で、お前は何しにそこにいるんだ? と強く問いたいですな。


それに、一次予選の韓国戦は、百歩譲って、こちらも油断していた等で、反省すべき点を学んで、次回に活かそうとする敗戦であれば、まだ収穫があったとは思う。
でも、今回は1度負けている相手であり、油断も舐める事もないであろうし、実力的にはこちらが上であり、しかも日本は勝たなければ次に薦めない崖っぷちの戦いであり、このような好条件が揃っていても、1次予選と同じような展開で、同じような負け方しか出来ないのは学習能力が無い事もあるが、結局は何も作戦や意志、目的を持って試合に臨んでいない事を暴露しちゃったようなものです。

 
つまり、これだけの選手をそろえているんだから、油断せずに、真剣に戦えば負けないだろう、などの期待論をアテにしたり、執念などの精神論頼りで戦うから、「こちらの勝とうとする執念よりも、相手の気力が上回ったと考えるしかない」などのバカなコメントしか出せないわけだ。
確かに、最後の一歩、最後の一握りの差は、執念や気力、精神力の差によるだろうが、今日の場合はソロによる1点だけしか取れず、そんなレベルで無いことは明白でしょ。
相手の執念が上回ったとか言う前に、もっと楽に勝てる展開を用意、準備するのが指揮官の仕事でしょ。

また試合中に何か作戦を持って相手と戦った上で、相手が1枚上回り、どうしても崩せなかったのであれば「いい試合をしたが、もてる力は発揮できたと思う。」など言えるだろうが、本気でそう考えているのか?
9回1死1塁で、代打が新井だ。
何を期待しての代打だろうか、新井は昨年の本塁打王だったか・・・
記憶にあるのは、長打率はあるが、三振もやや多く、長打は期待できるが、小技には向いていない選手・・・と言うイメージか。
王監督が期待したのは、まさかホームランか長打?
そんなコンセプトのチームだったか?

なら、1塁の青木に盗塁させて、そこで自由に打たせるのかと思えば・・・

繋ぐ野球を目指したチーム編成だったのなら、順序的には、最多安打の青木が代打だったんじゃないのか、カウントによっては少なくともいろんな事が出来たかと思うが。
結果は、知っているとおりにブンブン振り回して三振するのだが、長打を狙っての起用なら当然あり得るわな。

要するに、こんな選手采配でこんな戦術で、「力を出し切った」とまるで自分を納得させたいかのように宣っているんだから、むなしさを感じますね。

 
王監督の采配は、常識的で堅実で、「勝つ」と言うより「負けない」戦いが得意な、良将タイプでしょうな。
このタイプは長期戦のペナント向きですね、こちらの方が戦力が上なので、じっくりと戦う方が強い。
例えば、戦闘においても、こちらが4万人で相手が2万人程度なら、堂々と正面から着実に相手の戦力を剥ぐようにして戦えば、負けることはまずない。

ところが、目先の損失や派手なパフォーマンスに走り、こちらの方が戦力が多いのに、奇襲や小手先の作戦で反対にしっぺ返しをもらい、敗れるケースもあるが、王監督は少なくとも、そっちに走って惨敗するような事はしないだろう、と言う感じですね。

しかし、言い換えれば、コチラの戦力が不利なとき、相手を攪乱したり、奇襲や伏兵などあらゆる手段を持って戦う、臨機応変な作戦を組み立てたり、時間がない場合は、多少の冒険などもしなけならない場合があっても、それには対応が出来ない。
短期決戦には、無謀であっても、時には臨機応変に対応できる指揮官ってのが、向いているんだと思うんですが。
これはまあ完全に余談ですな。


 
まあともかく、日本の醜態はバカバカしくて、首脳陣はアメリカに旅行に行っただけか、と皮肉りたいだけです。(笑)
と同時に、今夜のニュースでもその傾向がありましたが、はっきり言って、日本は比較すれば韓国に2連敗するような戦力でも無いですし、ベスト4に残って当然のチームなのに、ここまで負けが込むのを、「選手は立派だった」とか「惜しかった」とか「選手は責められない」とか、美談で終わらせようとしたり、褒め称えようとする傾向があるが、そんなのは、選手のためにも、指揮官のためににも、引いては日本のプロ野球の為にもならん、と思っている。

批判べき事は批判をきちんとしなければ、やはり国民が納得行かないだろう。
不利な戦力、実力以上の対戦相手に勝って、予選で敗退したとしても、それはカーリング女子のように、同じ予選敗退でも賞賛すべきところは賞賛し、次に期待したいと思える。
ところが、WBCの日本は、こんなところで負けるチームでも、韓国に2連敗するような戦力でもなく、実力がありながらその実力を出し切れずに帰って来る場合は、やはり批判すべきだろう、彼らは少なくとも億単位の年俸をもらっているのだから。


 

| | コメント (2) | トラックバック (1)

3 10, 2006

正しい歴史認識って何?(3)

 『正しい歴史認識って何?(2)』の続き、というかまとめです。

【あとがき】

 本来、この部分は今回のテーマと関係ないのですが、そもそも
この教科書が日本語訳された意図に関わる部分なので取り上げて
みます。

『韓国の歴史教科書の内容はいうまでもなく韓国国民の歴史観
 形成に決定的な役割を果たしていますが、それは同時に日本
 国民の歴史観形成にも深くかかわっていると考えられます。』

 なに?。どうして関わっているの?。正直サッパリわからなか
ったのですが、以下の文言でそれが明らかになります。

『・・韓国での民主化の進展に対し、日本では反動イデオロー
 グたちの策動が目立ち、かつての日本の侵略行為を正当化し
 ようとする意図をむきだしにしています。これは必ずしも偶
 然の動向ではありますまい。』

 つまり、こうした反動的な意図を打ち砕くためには韓国の主張
を全面的に受け入れる、それによって「日本国民の歴史観形成に
も深くかかわって」いるという主張のようです。私に言わせれば
本教科書の訳者たちが、自分達の歴史観を日本にも浸透させよう
とする意図をいかにも自然にそうなっているかのように偽ってる
だけです(笑)。もっと正確に言えば、「日本国民の歴史観形成に
も深くかかわっていると考えられます」ではなくて、「日本国民
の歴史観形成に深くかかわらせたいと考えています」ということ
でしょう。

 仮にも歴史家ともあろう者が、自分達と違う歴史観を持つ人達
のことを軽々に“反動イデオローグたち”等と呼ぶべきではない
でしょう。第一、こういう呼び方をした時点でその人が何らかの
政治的立場にある言い換えれば中立の立場にはないということを
自ら暴露してしまっている訳ですから、自らの著書で言うのなら
ともかく他国のものであるとはいえ教科書のあとがきに書く文章
としては全くもって不適当であると言わざるを得ません。

-----------------------------
 歴史学者である秦郁彦氏はその著書『現代史の争点』の中で、
歴史家というものについて、以下のように書いています。

『歴史家(プロでもアマでも)の任務は正確な史実を探求し因果
 関係を明らかにして、読者へ提供することにある、と私は信
 じている。そのためにはクールな心境で主題と素直に取り組
 む必要があり、左右を問わず政治的イデオロギーに奉仕する
 ものであってはならない。』(P.252)

 まさしくこうであって欲しいもの。この一文は、もともと右派
史観の中村粲(あきら)氏とのやりとりを巡る『歴史論争の作法と
節度』という項におけるものなのですが、その後に「左派もほと
んど同じ」例として、なんと本教科書の訳者でもある君島和彦氏
が取り上げられています。あぁ、なるほどねぇ~(笑)。よくよく
見ると、氏名の直後に‘家永教科書裁判の家永側事務局長格’と
カッコ書きで書いてあるし・・。あぁ、やっぱりな~(爆)。
-----------------------------

 ただ、最後のほうにキチンと翻訳の目的が書かれているのは、
目的はともかくとして(笑)、偽ってはいないという点では一応の
評価をしたいと思います(以下が該当部分です)。

『あえてこの翻訳にのり出したのは、韓国の歴史教育の内容を
 とおして、日本の歴史教育の改善にも資したいと考えたから
 でもあります。』

 まぁ、こういった人達のおかげで韓国の歴史教科書の歪さを実
際に知ることがこうして出来た訳ですから、そうした点で彼らの
努力には感謝したい!と表明させて頂きます。出来れば「日本の
歴史教育の内容をとおして、韓国の歴史教育の改善にも資したい
と考え」て行動して頂ければ、なおのこと良いのですけど(笑)。

 ここまでで、ひと通りは見てきました。全体的に言えることは
やはり“Ⅰ 韓国史の正しい理解”なる項目が見て分かるとおり
最も大きな項目分け(単元)の中で独立した項目の1つとしてわざ
わざ設けられている点が、なんと言っても異様ですね。そして、
そのなかで繰り返し出てくる“正しい(若しくは正しく)”という
言葉。

 常識的に考えれば、教科書で教えるような内容は基本的に学問
的‘裏づけ’がある内容を掲載する訳ですから、それをいちいち
“正しく理解”だの“正しい歴史認識”だのと(教科書の)冒頭で
明言することなど全く不要のはず?。それとも、韓国では国語や
算数の教科書にも同様の‘前置き’があるんでしょうか?(笑)。
それとも、前もってこれだけ言っておかないと学習する内容それ
自体が事実であると思われないぐらい怪しい内容が記載されてい
るということを意識しての‘予防措置’なのでしょうか・・?。
やはりこういう文言をこういう項目まで設けて繰り返し用いると
いうのは、「韓国国民にとってあるべき歴史観(歴史認識)を何が
何でも国民に植え付けよう!。」という韓国政府の目的があって
のことだろうと断定してよいでしょう。

 因みに日本の歴史教科書について同様の記述があるのか、書店
でちょっと確かめてみました(立ち読みってヤツです)。出来れば
最もタイムリーな『新しい歴史教科書』でもあれば本当は良かっ
たのですが残念ながら(?)なかったので、私が高校で歴史を学習
していた以前からメジャーな存在であったであろう山川出版社の
『詳説 日本史』をちょっと覗いてみました。結論から言えば、
今まで見てきた部分に相当する部分は、たった1ページしかあり
ません(笑)。当然の事ながら“正しい”だの“歴史認識”だのと
いった言葉は一切ありません。強いて言えば『歴史の流れを学ん
で欲しい』と言ってる程度です。個人的には、もう少し学習する
目的を具体的に記述しても良いのでは?とは思いますが、常識的
な文章であるということだけは、自信を持って言えます。

 もう1つ。そもそも“歴史認識”って一体なんでしょうか?。
この言葉自体にも非常に引っかかるものがあります。少なくても
私の知る限り、日本人が歴史というものをどう捉えているか?と
いった意味で用いる言葉は“歴史観”であり決して“歴史認識”
ではないはずです。自分の家にある『大辞林(第二版)』[三省堂]
で“歴史”という言葉そしてそこに付随して記載されている歴史
を接頭語にした言葉を見渡しても、やはり“歴史観”はあります
が“歴史認識”はありません。
-----------------------------
【歴史観】歴史的世界の構造やその変化・発展についての1つ
     の体系的見解。
-----------------------------
見解という以上、歴史観という言葉そのものには正誤や善悪など
の属性は備わっていないことが分かります。複数の歴史観が並存
することも、理屈の上では全く問題ない訳です。実際、歴史観は
史観とも言いますが、史観は歴史学において複数存在しますし、
それらは対立する部分は存在しても完全な排他的関係ではありま
せんし、場合によってはむしろ補完的関係にあるとも言って良い
ぐらいです。

 では、一方の“歴史認識”はどうでしょう?。取り敢えず歴史
の二文字を取り払い“認識”という言葉がどういう意味なのかを
同じく大辞林の記載で確認してみます。
-----------------------------
【認識】①物事を見分け、本質を理解し、正しく判断すること。
     また、そうする心のはたらき。
    ②[哲学用語なので省略]
-----------------------------
 う~ん?。認識には最初から正誤を伴った意味が備わっている
ということですね。歴史観とは違って歴史認識とは別の歴史認識
つまり言い方を変えれば別の価値基準による判断或いは価値基準
が同じでも判断能力の違い等による別の判断(結果)とは、基本的
に相容れないものだということになります。だって、歴史認識を
持ち出した時点で、その持ち出した人にとってはそれ以外の歴史
認識はほぼ絶対に正しくないはずなのですから。そして、自らの
歴史認識に拘る人がそれ以外の歴史認識を持つ人との問題を解決
しようとすれば、相手に自分の歴史認識を認めさせるしか方法が
ない訳です(或いは相手の歴史認識を全面的に受け入れるか?)。

 これだけ見ていくと、その性質上妥協の余地が限りなく小さい
歴史認識というものを政治や外交に持ち出すということ自体が、
如何にナンセンスなことであるかを(事前に分かり切っていた事
とは言え(笑))改めて痛感します。そして、韓国(や中国)が歴史
問題を持ち出す際、“歴史観”という言葉は決して用いずに常に
“歴史認識”という言葉を使うこと、それに伴う非妥協的な態度
が必然であるということ、がよく理解出来ます。

 ようやく終わった・・(苦笑)。これを読んで下さったかたにも
貴重な時間を割いて頂いたことに対して感謝したいと思います。

 まぁしかし、それにしてもどう贔屓目に見ても韓国の歴史教育
というものの位置付けやそのあり方には全くもって納得出来ない
し、(それだけなら未だしも)そのような歴史教育から来るところ
の“正しい歴史認識”なぞを過去の日本の侵略にかこつけて21
世紀にもなって未だに‘被害者ヅラ’をしながら押し付けてくる
国家&国家首脳には、今更ながら呆れてモノが言えない!としか
言いようが無いです。

 正直これだけの長文ですけど、所詮はシロートの解釈ですので
いろいろとイチャモンのつけどころがあろうかとは思いますが、
多分コメントがついても十分に納得出来るレスは出来ないと思い
ますので、予め御了承下さい。勿論、批判的なコメントそれ自体
を否定するものでは決してありません。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

正しい歴史認識って何?(2)

 『正しい歴史認識って何?(1)』の続きです。

【Ⅰ 韓国史の正しい理解】

 この部分は数ページに渡っているので、まずは構成から確認して
みます。
-----------------
 表紙(P.13)
 単元の概観(P.14)
 1 歴史学習の目的(P.15~18)
 2 韓国史と世界史(P.19~23)
[余白](P.24)
-----------------
 “表紙”及び“単元の概観”は飛ばして“1 歴史学習の目的”
から見ていきます。

[1 歴史学習の目的]

 概要の部分で1箇所。

『歴史を勉強する目的は、過去の事実を“正しく”認識すること
 はもちろん、問題解決の能力を育て、現在の生き方に効果的に
 対処しようとするところにある。』

 素晴らしい(笑)。どこかのIT企業の謳い文句みたいです(爆)。
歴史教育でソリューションねぇ・・。この一文だけをみても、韓国
にとっての歴史(国史)の授業というものが特別の意味を持つものだ
ということがよくわかります。日本では教育の基本は‘読み・書き
・ソロバン’という、授業科目で言えば国語&算数(数学)となるの
ですが、韓国ではどうも違うみたいですね。歴史観というものは、
歴史教育そのものだけで築いていくものではなく、それ以外の要因
つまりは他の授業科目における教育或いは家庭・社会で日常起こる
様々な経験をとおして、だんだんと価値観を作り上げていく。その
価値観の一部としての歴史観がある筈です。それなのに、歴史認識
などとそれだけがなにか特別の存在であるかのように語る韓国首脳
や知識人及びマスコミの言動には、やはり非常に強い違和感もっと
言えば嫌悪感を感じずにはいられないし、そういった考えを当たり
前のように論じる韓国及び韓国社会が本当に自由と民主主義を謳う
国家及び社会なのかという疑念を持たずにはいられません。

 次にいきましょう。実は更に細かく項目が分かれています。
-----------------
 ① 歴史と歴史学
 ② 過去と未来との対話
-----------------
 ①では該当箇所がないので、省略します。で、②にいきます。

『・・歴史学習が過去の事実を“正しく”理解するだけではなく
 て、歴史学習をとおして現在に生きるわれわれの人間的成熟を
 助けるものでなければならないという歴史学習の目的・・』
『・・過去の歴史を“正しく”理解すると同時に、自らの努力で
 歴史的問題を認識し、思考し、解決できる能力を育てるもので
 なければならない。』
『自らの努力で歴史的事実を“正しく”理解し、検証し、結論づ
 ける能力をもつにいたったとき、われわれは今日当面している
 問題を自ら解決することができる。』
『・・歴史学習をとおしてわれわれは、祖先が築きあげてきた歴
 史を“正しく”理解することができるし、数々の逆境を知恵と
 努力で克服した祖先の歴史的能力を確認でき、進取の姿勢で新
 しい民族史の創造に参加することができるように・・』
『・・歴史学習はまず過去の事実としての歴史を“正しく”理解
 するところから出発するが、究極的には現在に生きているわれ
 われの成長を期するものである。』

 まぁ、あるわあるわ・・(笑)。韓国人には、これだけ繰り返し
言わないと歴史を“正しく”理解出来ないのでしょうか(爆)?。
こういった、繰り返しというかクドイ表現をしているところから
しても、韓国政府が自らが“正しい”とするところの歴史認識を
国民に植え付けよう!という意図が明白ではないかと思います。
しかも、最近では大統領が幼稚園の段階から歴史教育をしようと
言っているようです。私も負けずに繰り返しで恐縮ですが(笑)、
歴史観とは乱暴に言って価値観を形成していくなかでの一部分に
過ぎません。それを小学校から大学まで実施し、公務員試験でも
必須科目とし、それでも飽き足らず今度は価値観など形成しつつ
あるという以前の段階である幼稚園の段階で歴史教育を実施する
などというのは、もはや‘教育’の類ではなく‘洗脳’の類では
ないかと考えざるを得ません。

 しかし、そういった点を差し置いても歴史教育を学習する側に
は、多大というか過大な期待が寄せられていることがわかります
よね?。『人間的成熟を助ける』『われわれの成長を期する』と
いう程度なら、まぁ一般的によくあるフレーズですし、取り立て
て問題はないと思います。でも、

『歴史的問題を認識し、思考し、解決できる能力を育てる』
『当面している問題を自ら解決することができる』
『進取の姿勢で新しい民族史の創造に参加することができる』

 って、現在の韓国大統領&政府だってこれらが全然出来て無い
じゃん(爆)。そんな無茶なことを一般ピープルに要求すんなよ。
北の核問題&拉致問題(韓国人の拉致が最も多いはずなのに・・)
&統一問題、日本との竹島(独島)問題&靖国問題&教科書問題、
何一つ解決していないでしょう。自らの主張を押し付け、実質的
な議論(実証的な視点からの議論)を拒否、靖国問題で自らに意向
に従わなければ首脳会談も拒否・・、そして極めつけは現大統領
の思いつきであり、彼が歴史と言うものを如何に知らないか?と
いう事実をこれでもかと見せつけた“韓国バランサー論”(爆)。
(最近、流石に本人もこのフレーズを口にしなくなったわな。)

 これが韓国の歴史教育を何も疑問もなく受け入れかつそれ以外
の知識の習得や別の視点から物事を見つめるということを致命的
なまでに怠っている人たち(さしずめ、アンバランサーか?(笑))
の成果なのでしょう(笑)。

 上記のような期待は、歴史教育云々というよりは寧ろバランス
のとれた人間教育全般という、より広い観点から培われるもので
あるということぐらいは、少なくても民主主義国家の国民であれ
ば誰にでもわかること。歴史教育に過大な期待や要求をする前に
そして歴史認識の異なる他国の首相やその政府を批判する前に、
他にやるべきことがあるんじゃないでしょうか?->韓国政府。

[2 韓国史と世界史]

 やはり、概要の部分にあります。

『“正しい”歴史認識をもってわが国の歴史を客観的に理解し
 ようとすれば、わが国の歴史だけでなく、周辺の民族、周辺
 の社会の歴史も“正しく”理解しなければならない。』

 なるほど、全くおっしゃるとおり(笑)。ですが、国史(韓国史)
しか必須科目でなく、そもそも世界史という科目があるのかどう
かも疑わしい(私が調べた限り少なくても必須科目としての世界
史は存在しない)現状で、いったいどうやって周辺民族&社会の
歴史を“正しく”理解することが出来るというのでしょうか?。
今回対象としている教科書にも、もちろん関連事項として他国の
記述はありますが、そんな極めて限定的な記述のみで“正しく”
理解出来るとは到底思えません。

 なお、直後の「研究課題」で

『1 歴史を“正しく”理解するためにはどのような姿勢が必
 要か。』

 という記述(その他にも2つ課題が挙げられている)があり、更
に以下の項目のうち、①が対応しています。“正しい”云々から
は若干外れますが、この際ですのでクローズアップしてみます。
-----------------
 ① 韓国史の理解
 ② わが文化の伝統
 ③ 韓国史と世界史
 ④ 世界化時代の歴史学習
-----------------
 上記に関連して①には以下のような記述があります。

『すべての民族の歴史には、普遍的な面とともに特殊性がある。
 この特殊性が、結局、その民族の歴史的性格の核をなすもの
 である。』
『この特殊性の理解のためには、世界史との関連、世界史的普
 遍性に対する関心と理解が必要である。』 

 それぞれの民族・国家・社会にユニーク(唯一)な面がある事
それ自体は私も否定しません。しかし、歴史もっと言えば歴史
学を学ぶにあたって普遍的な面と特殊性との2面性があるとは
一体どういうことなんでしょうか?。韓国史でも世界史でも、
同じ歴史でしょう?。ただ扱う範囲が違うだけです。日本史と
世界史についても勿論同様のことが言えます。少なくても日本
で「日本史を学習する際は、世界史とは違って民族特有の特殊
性を考慮する必要がある。」等ということを聞いたことがあり
ません。悪いけど、他国にはない‘偏った’歴史教育を正当化
するために言い訳してるようにしか見えません。極めて民族色
の濃い、そして反日にみなぎった記述、そういったことなどを
批判されることを予め考慮してこうした言い訳を教科書の最初
にもってきたのでしょうね。重ねて言いますけど、国史と並行
して世界史を学ぶことがない以上、世界史的普遍性など理解の
しようもない。つまり、実際には特殊性のみを学習する一方、
世界史的普遍性についてはなんら学習することはなくその言葉
だけをただ枕詞(まくらことば)的に覚えるだけ!という状態で
恐らくは殆ど大半の韓国国民はその歴史教育を終える訳です。

 第一“普遍性(的)”なる言葉は余程の学者でもなければ正確
に理解なんて出来ないと思うんですけどね(笑)。乱暴に言って
“普遍性”=“宇宙の真理”でしょう?。全てのものに通じる
性質、ですよ?。歴史の分野に限った意味だとしても、それを
たかが高校生が理解出来る訳ねぇだろってのっ!。全くもって
無茶ですなぁ(爆)。

 そういえば、現大統領の発言でも、‘普遍的’なる意味不明
な言葉を結構連発していましたね?。彼は、そういった意味で
韓国の歴史教育により純粋培養された存在であることを、その
数々の‘迷’発言によって如実に現していますな(爆)。

 最後になりましたが(笑)、④でも該当箇所があります。

『・・民族の主体性を確認するための国史の学習とともに、
 世界史の“正しい”理解と世界史のなかの民族史を認識す
 るための歴史学習が強く求められる。』
『・・世界史を“正しく”認識してわが歴史の将来を見通し
 ながら、より明るい未来世界の創造のために努力しなけれ
 ばならない。』

 もう、いいですよねぇ・・(苦笑)。同じことを繰り返し書く
ことになるのは目に見えているし。

 で、最後の締めはまた別の記事にて・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

正しい歴史認識って何?(1)

 久々に記事を書かせて頂きます。

 実は前から非常に気になっていたのですが、いわゆる『歴史教科書
問題』で中韓とくに韓国が自らの主張を行うさいに決まり文句として
使う“正しい歴史認識”という言葉。最近、とくにこの言葉を韓国の
大統領や外交通商部長官(最近、国連事務総長就任を狙ってる御仁)ら
が連呼してますよね?。戦後日本の教育で育った私としては、外国と
はいえ権力の側にある人間が他人に向かって「正しい」等という言葉
をそれも語気を強めて言うなんて行為自体が非常に奇異に感じられて
仕方がありません。それに第一、あれだけ“言葉の大安売り”をして
いると、本来伝えたい意味よりも軽薄な印象を与えるしまう!という
ことがわからなのかなぁ?等という疑問(ある意味“愚問”なんです
けどね(笑))も沸いてきますし・・。

 おっと、早速脱線してしまいました(笑)。で、“正しい歴史認識”
という言葉が一体どこから出てくるのか?。特に、“正しい(く)”と
いう言葉がなぜ“歴史”という答えが必ずしも四則計算のように単一
であるとは限らない分野を語る際にからんで出てくるのか?。それは
やはり、彼らが執拗に拘る歴史教科書のなかにあるのだろうと思い、
昨年12月に得たボーナスで神田の書泉グランデにて購入しました。
「なにが悲しゅうてボーナスで韓国の歴史教科書なんざ買うんだ?。
バカか、お前は?。」等のツッコミはどうか勘弁して下さい(爆)。

 ちなみに、当然のことですが本書は日本語に訳したものです。詳細
は以下のとおりです。
------------------------
 タイトル:『世界の教科書シリーズ①
       国定韓国高等学校歴史教科書
      【新版】韓国の歴史<第二版>』
 訳  者:申 奎 燮(シン キュ ソブ)
      君島 和彦
      大槻  健
 発 行 所:株式会社 明石書店
 定  価:(本体2,900円+税) 
------------------------
 想定の範囲内とは言え、結構な値段ですね(笑)。因みに中国の歴史
教科書も同時に購入しようかと思っていたのですが、値段がより高か
った(流石は中国、かなぁ?)ので、後日購入ということにしました。
いつの購入になることやら・・(笑)。

 まずは、一応全体の構成から書いておきます。

《全体の構成》
---------------------
 はじめに(P.3~4)
 目次(P.5~12)
 Ⅰ 韓国史の正しい理解(P.13~24)
 Ⅱ 先史文化と国家の形成(P.25~52)
 Ⅲ 古代社会の発展(P.53~120)
 Ⅳ 中世社会の発展(P.121~184)
 Ⅴ 近世社会の発達(P.185~250)
 Ⅵ 近代社会の胎動(P.251~318)
 Ⅶ 近代社会の展開(P.319~384)
 Ⅷ 民族の独立運動(P.385~450)
 Ⅸ 現代社会の発展(P.451~498)
[付録]歴代王朝系譜(P.499~506)
[付録]国史年表(P.507~514)
 索引(P.515~519)
 研究陣・執筆陣(P.520)
 あとがき(P.521~522)
---------------------
 項目を見ていただければおわかりかと思いますが、日本の侵略云々 
の記述があるのは、

“Ⅶ 近代社会の展開”
“Ⅷ 民族の独立運動”

の部分になります。言いたいことは色々ありますが、この辺について
は今回は割愛させて頂きます(後日、機会があったら触れてみたいと
は思っています)。以前は「日帝の侵略」に関する記載が全体の半分
以上!な~んてよく言われてたものですが、流石にそんなことはない
みたいです(笑)。

 改めて、今回の対象となる記述は

“はじめに”
“Ⅰ 韓国史の正しい理解”
“あとがき”

の部分と限定させて頂きます。では、各項目を見ていきます。

【はじめに】

 おぅおぅおぅ、たった2ページで早速ヒット!。該当箇所を抜粋
してみましょう。

『・・歴史を学ぶ究極の目的は、過去に対する理解をとおして現在
 を“正しく”認識し、未来を“正しく”設計することである。』
『民族史に対する“正しい”認識によって、われわれの現在と未来
 の問題を“正しく”処理する歴史的能力を啓発、伸張させ・・』
『今こそ、われわれはわが国の歴史を“正しく”理解し、これを土
 台にして今日の歴史的使命である祖国の統一と民族の反映を一日
 も早く達成し、・・』

 言ってること自体は、確かに間違ってはいないでしょう。でも、
問題なのは、この“正しさ”とはいったい誰が判断した“正しさ”
なのでしょうか?(笑)。まぁ当然のことながら、国家(韓国政府)が
判断した“正しさ”なんですよね。なんせ『国定教科書』なんです
から・・。

 この1点だけを取っても日本の教科書を批判する資格なんぞない
ことは明白です。だって、国家が定めた“正しい歴史認識”を国民
に教育をとおして半ば強要している訳でしょう?。これじゃ、彼ら
がなにかと批判している日帝(大日本帝国)時代の教育そのものでは
ないでしょうか?。他国に反省を促す前に、自らの行っている言動
そのものが、韓国風に言うところの“日帝三十六年支配の残滓”で
あることを、まずは深~く“認識”して頂きたいところです(笑)。

 民主主義国家における歴史教科書とは、国民が歴史観(なぜ歴史
認識と書かないのか?については、最後で説明します。)を持つに
あたってその基本となるべき歴史的事実をその前後関係など踏まえ
必要最低限の体系化を図った上で教えることではないかと私は考え
ています。最終的には、個々の国民が歴史教育と歴史教育‘以外’
の様々な場で培われた価値観とが相まって、それぞれが独自の歴史
観を持つことになる筈です。民主主義では多様な価値観が尊重され
るのに、歴史観だけがその例外ってのはあり得ないでしょう。歴史
を違った観点から見ることを許容しないような国家や社会であって
は、それこそ“現在と未来の問題を正しく処理する”ことなど‘絵
に描いた餅’ではないでしょうか?。そもそもが、国民全員に同じ
歴史認識を持たせようなんて考えにどだい無理がある、というより
正直“気持ち悪い”っすわ(笑)。それとも、韓国人は‘お得意の’
ES細胞を使って作られた同じ歴史認識を持ったクローンの集団と
でも言うのでしょうか?・・(爆)。

 それと、最後に抜粋した分ですけど、思いっきり歴史教育と政治
目的とを混同させてますね(笑)。南北統一を‘歴史的使命’などと
言って上手く誤魔化しちゃって・・。しかし、国家の繁栄・衰退や
その領土の変遷というのは、結果としての‘歴史’なのであって、
決して‘歴史的必然’のような運命論的というか非科学的な何かが
存在する訳ではありません。よって、南北統一を‘歴史的使命’と
表現するのはそういった意味で適当でなく、もっと素直に‘多くの
国民が求めている(政治)目的’とするべきではないでしょうか?。
尤も、これでも歴史教科書の記述としては当に政治的であり不穏当
ですので、最終的にはスッパリと削除すべきでしょう。

 なんだか、またいつものように冗長になってしまいました(笑)。
“Ⅰ 韓国史の正しい理解”及び“あとがき”については別の記事
にて書かせて頂きます。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

3 06, 2006

まだ次があるのが救い

昨日の、「やはり、不思議な負けなし」にコメントを頂きました。
長くなりましたので、ここで取り上げます。

なお、改行は勝手に操作させてもらいました。



 最近、コメントしてるの私だけのような気が・・(苦笑)。


 久しぶりに野球をほぼ最初からみていたのですが、本日の試合を一言でいえば「互角のチーム同士の対戦だったな。」ということ。
私も、国家単位でいうところの全体的な野球のレベルということであれば確かにまだ日本のほうが上だと思います。
でも正直言って、米国と日本の差が仮に10だとしたら、日本と韓国との差は2程度しかないと思いますね。
監督やコーチなど首脳陣の責任は勿論ですが、今回に限って言えば選手たちも結構安易に勝てると考えてた節が見受けられたのも、やや残念でした。


>1戦、2戦の打線好調さに対し、3戦目に「打線は好調だから」と何も指示を与えていないか、


 ・・・スカパーでの中継における実況の話だと、王監督は「打線は選手達に任せている」と言ってたとのことです。
akinopapaさんの懸念通りということなのでしょうね・・。


>王監督のコメントを見ると「韓国の投手が良かった」と言っているが、「1戦、2戦の反省点を活かせていなかった」とか「監督として有効な指示をしていなかった」とか、反省の弁が無かった事に注目したい。


 ・・・別のネタで申し訳ないんですけど先に行われたラグビー日本選手権で早稲田大学に惜敗したトヨタ自動車の朽木監督の敗戦の弁とピッタリ重なるんですよねぇ。
相手を褒める、それ自体はスポーツマンとしてある意味尊敬出来ることなんですけども、評論家じゃないんだから監督としての準備や采配でどういったことが上手くいかなかったのから負けたのかをまずは簡潔にコメントすべきですよね?。


 2次リーグではどうなることやら・・。


P・S
以前からそうだったんだろうけど、韓国の選手って身体大きいですよねぇ?。
日本の選手がみんな高校生みたいにみえるもん。
スポーツは、やはり身体が基本であり資本でもありますから、正直あの体格の良さは単純に羨ましいと思いました。


 
まあ、相手の監督や選手に「強かった」と言わせることは、ものすごく嬉しく有頂天になるものですから、次のラウンドで戦う韓国戦を見据えて、相手を持ち上げて油断させる作戦も考えられますが・・・
それが本当なら、素直に賞賛しますけど・・・王さんにはそんな腹芸は出来ないでしょうからねぇ。(笑)

真面目な話し、相手の強さを素直に認める事が出来る人物は、奢って失敗したり、足下をすくわれて大敗したりする事は無い、とは個人的に思いますが、指揮官としては常に自己分析に反省が欲しいものではあります。
特に、ラクビーのトヨタの場合は、相手の学生を素直に褒めるのは悪いとは思いませんが、同時に、やはりトップリーグの代表として出ている以上、負けること自体が恥だと思って、コメントして欲しかったですね。
例えば、プロがアマに負けた場合、どんなにアマが素晴らしくても、プロ側にはプロとしてのプライドとメンツを持ったコメントが欲しいのも当然でしょうが、それに近い物が今の学生と社会人ラクビーにはあると思いますけどね。


 
あと、選手側も安易な姿勢になっていたと言う話ですが、それもあったかも知れません。
何も、勝負事ですから、全員が謙虚になる必要はありません、闘志をむき出して吠える人もいれば、冷静に取り組み人もいるのが当たり前でしょうから。
ただし、選手が奢り、油断していたら、それを制御するのは指揮官の仕事ですからね。
選手は、個性色々、自惚れているヤツもいれば、消極的なヤツもして、それで組織が構成されている以上、その個性を活かしながら制御をするのが監督、指揮官の仕事ですよね。
その意味では、プロだから任せると言うのは、1つの選択肢ではあるけど、結局はプロである彼らを自分はコントロール出来ない、指導出来ないと自ら放棄している側面もあり、当然ながら万全を尽くすのであれば、放任はあり得ない選択だと思っています。


 
>>本日の試合を一言でいえば「互角のチーム同士の対戦だったな。」という

相手の守備は、予想以上に素晴らしかったですな。
選手や国民が驚くのは仕方がないにしろ、チーム首脳部がその情報を持ち合わせていないとなれば、彼らこそ奢って自分達の仕事を手を抜いたとしか思えないです。
そもそも、スタッフが奢る資格など無いはずなんです、日本のレベルが高いのは、あくまでも選手であって、あんたらスタッフの能力が高くて評価を得ている分けじゃないのは当たり前なんですから。

そして、大リーグを見本とするパワー野球の韓国と、日本独自の繊細な野球では違うでしょう。
相手の投手が良ければ、何とか崩して勝とうとするのは、日本は得意のはずです。
高校野球では、名門校が勝ち抜くのは、そのノウハウがしっかりあるからでしょう、それをプロになれば、泥臭いことなどやってられん、ってなもんでしょうかね、何だかみんな大振りだし、淡泊なんですよね。

まあ、偉そうに語ってますが、一スポーツファンとしては、アテネでの反省をきちんとして欲しいとは思っているだけです。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

3 05, 2006

やはり、不思議な負けなし

WBCのアジア一次予選で、日本は韓国に負けましたね。
他のブログや、掲示板などのネットを見たりすれば、みんな驚いている人が大勢いますが、私はそれほど驚いたりしていません。

ちょっと、本当は今日、日本が韓国に勝てば、堂々と書こうと思っていたけど、負けたので書けば結果論で書いていると思われるのがイヤなんだけど、ただ、野球に関しては過去にも書いてきたので、それほど誤解も受けないだろうと思って書きます。


 
私は、以前から勝負事に「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」と言ってきただけに(このブログでも何度も書いた)、今回の敗戦も当然、戦術的な面でも戦略的な面でも、その要素はあったのだろう。
そして、私の場合団体球技の場合は、選手個人よりも指導者、監督にその矛先を向けることは多い。
なぜなら、団体球技は基本的には個人だけが勝負しているのでもなければ、勝敗を付けることも不可能。
ぶっちゃけた話し、スポーツだけでなく、戦争そのものも同じだと思っていますから。


「一頭のライオンに率いられた百匹の羊の群れは、一匹の羊に率いられた百頭のライオンの群れに勝る」

まあ、このことわざ通りですね。


さらに、実力差が存在するのは、誰しも理解している事なのに、同時に勝敗事に絶対はない、と言う、一見矛盾に満ちた言葉も誰もが理解している。
つまり、実力差というのは、勝負事の勝敗に必要条件ではあるが、絶対条件にならない。
実力差等というものは、万全の態勢を引いて、全力で戦ってこそ、その意味、価値を持つ物だろう。


 
さて、今回のWBCにぴて、どうしても以前から不思議だったのは、王貞治氏が監督をしている事。
まあ、ホークスファンも大勢いるので、あまり言えませんが(笑)、アテネ五輪の教訓が、この王貞治だとすれば、日本野球界の首脳は、何も反省していない、学習していないって事になると思っています。
確かに、王貞治と言えば世界のホームラン王で、日本のプロ野球界の重鎮であり、カリスマも高くまとめる力はあるのは間違いない、あのイチローも王監督の存在を認めている。

ただ、WBCってのは、有名な人が率いて、後は勝手にやらせておけば、勝てるものではあるまい。
そんなこと、アテネ五輪で情けないほど味わったはずだ。

長嶋さんは、途中病で倒れ、結局は監督としての指揮、采配を見せずして終わってしまったが、中畑という何も野球を知らないバカが監督した結果、惨めな結果に終わった事は、誰の記憶にも残っているはずだろう。
つまり、監督とは選手を選抜して、並べて「さあ、投げて、打って、走って、捕って、試合に勝とう!!」と言う事が仕事ではないと言うことだ。

戦略が当然必要だし、戦術だって重要なファクターであることは、本当に十分にアテネ五輪でお釣りがくるぐらいに学習したはずなのに。。。である。


 
王監督の手腕には、もちろん疑問は無い。
王監督の率いるソフトバンクホークスは、間違いなく3年間で実力的には1位だと個人的には思っているし、実際パリーグはシーズン3年連続で1位で通過している。
ところが、ここ2年は日本一どころか、パリーグの覇者にもなれていない。
それは何故か、理由は明確である、プレーオフのせいである。

プレーオフそのものは、このブログでも取り上げたか賛否両論はある、しかし、短期決戦としてやらねばならない以上、現場は神経をすり減らして努力しているはずだが、結果的に短期決戦に王監督は敗れている。

WBCは、まさに短期決戦なのであり、日本の監督はやはり短期決戦が強い人がなるべきで、むしろ「苦手」な人がなるものではない、私はそう思っている。
例えば、この日の韓国戦は、相手ピッチャーの調子が良く、1,2戦であれほど打ちまくった日本打線を抑えた、と言う話しに見えるが、短期決戦の場合は1試合、1試合に、次の試合への伏線もあり、因果関係があり、結果に繋がるものだ。
それは技術的なものから、精神的な面まで、あらゆるものが関連していると思うが、短期決戦に強いというのは、1試合1試合を点ではなく、線で捉えて結果を求める要素が強いものだ。

その面からみれば、果たして単純に日本の打線が、韓国の投手陣に押さえ込まれた・・・とだけ総括して良いものだろうか。
私は違うと思う、1戦、2戦の打線好調さに対し、3戦目に「打線は好調だから」と何も指示を与えていないか、反対に好調だから「指示を与えた」かで、結果はともかく、勝率は全く変わって来るもので、相対的なものだからこそ、相手の投手の力量にも素直に脱帽はするが、それ以前に日本が自身で打てなくなっても仕方がないような態度、気分で臨んでいなかったか、と言う点が大きく気になる。

現に、王監督のコメントを見ると「韓国の投手が良かった」と言っているが、「1戦、2戦の反省点を活かせていなかった」とか「監督として有効な指示をしていなかった」とか、反省の弁が無かった事に注目したい。

2次予選でも対戦する敵に、本当の事を言えるか! と言う感じで、褒め殺しをしているおであれば、大したものだが、個人的には王監督はそんな表裏の性格を使い分け出来る人じゃないと思うので、真面目に単に韓国戦だけしか総括していないのかと思ってしまう。(笑)


 
あと、よく、高校野球じゃあるまいし、プロ野球なんだか選手に任せる、と言った話が聞かれる。
でも、それはものすごく甘い話しである事は、日本は学習したと思っているんだが。
実力が伯仲している、もしくは拮抗している場合など、選手と言うより、チームとしてどのように勝負するのか徹底した戦術が必要である事は言うまでもない。

万夫不当と呼ばれた、呂布や項羽がいても、軍隊という組織と戦えば、個はその中で沈んでしまう事は、歴史だって何度も繰り返し教えてくれているはず。
つまり、どんなドリームチームを作っても、野球の場合は個で試合をやっても勝てない、強烈な個性を持つ点同士を如何に線と成すかが重要な事なのである。
その意味置いては、プロ選手だからこそ、反対にきっちり使ってやらねばならないと思う。


 
ちょっと話が逸れたが、結局ペナントレースは、1つの勝敗には拘らない、長いシーズンの中ではやはり選手による成長、成長のための後退など必要で、ペナントとはある意味どこで負けても良い試合をどれだけ作れるか、と言う勝負にも似ている。
しかし、短期決戦は違う。
まずは負けてはならない、そして、選手の成長は二の次で、チームとしての成長や完成度を優先すべき点において、難しい面があると思う。


 
日本が負けてしまった為に、私のこの発言も、結果論ありきのような印象を受けてしまうので、少し痛い面はある。
だが、これは私の持論であり、残念ながら王監督はカリスマ性はあるので、日本選手団の団長としてのまとめ役は向いているが、現場で胃に穴が開いても仕方がないほどの繊細な短期決戦を乗り切るためには、もっと相応の監督を選ぶべきだったと思っている。

要は「負けに不思議な負けなし」の、負ける要素は既に日本はしょっているのを忘れないで欲しい。
ただ、勝負とは時の運とも言う、たった1つの要素で全ては決まらない、1つの欠点を覆い、なおかつお釣りが来るような事があれば、十分に頂点に立つことは可能だ。


 
負けた今でも、現時点で日本と韓国の野球では、実力差はまだ日本が上であるのは間違いないと思っている。
ただ、勝負事に絶対はない事と、その実力差が、慢心、油断、指導者不足、戦術性欠落、情報不足などで簡単に逆転してしまう事は、何度もこの目で見てきた。

何度も言うが、日本の野球は、アテネ五輪でその高い代償を払ったはずなのである、WBCではまだ予選であるのが幸いしたと思って、万全を喫して本戦臨んで欲しい。
今更、王監督を変えるわけにはいくまい。
だったら、今回もそうだったが、2次予選もリーグ戦形式なので、1つは負けても可能性は残るのだがら、それをカバーする戦い方を行えば、勝ち抜ける可能性があり、そこが通常の短期決戦と違うところで、苦手であっても突破出来る可能性もあり、僅かでも期待はしたい。


 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

3 02, 2006

今年もやっぱり盧武鉉だった(笑)

3月1日は、三・一独立運動として、日本統治下で起こった独立運動を記念する日だそうだ。
まあ、独立運動をどうのこうのと言うつもりはないが、未だに支配国だった国を名指しで批判する事で、自分の国の独立運動を曰く事が出来ないのは、世界でも韓国ぐらいではなかろうか。
言いたくはないが、搾取目的だった欧米的植民化政策でヒドイ目にあった国々や、短い時間に2度も世界大戦の中心的な国の被害者である国も、戦後60年経ってここまでネチネチ言っている国は他にあるのだろうか?


韓国に至っては、ストレートに物事を言わせてもらうが、所詮韓国とは自国に誇れる歴史が少ない。
古くは中国の属国として、19世紀以降は日本の支配を受けた国として、日本を叩くことだけが、自国の誇りと満足を得られない寂しい国だという事情を汲んだとしても、もはや病気としか思えない韓国の言動には、後ろ向きの姿勢だけしか見えず、暗いイメージしか私には残らない。



「ドイツ見習え」 盧大統領が日本の指導者に苦言

 盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は1日、第87回3.1節(独立記念日)記念式で韓日関係について言及した。


 盧大統領は「この1年間、神社参拝、歴史教科書の歪曲、そして独島(竹島)問題まで、ほとんど何も変わっていない。指導層の神社参拝は続き、侵略戦争で独島を強奪した日を記念日にまでしている」と述べた。


 盧大統領は特に、「国の指導者の行為は、人類普遍の良心と歴史の経験に照らし適当であるのかということを基準に評価すべき」と語った。


 盧大統領は「“周辺国が抱いている疑惑は根拠がない”と言うだけではなく、疑惑を持たれる恐れのある行動を慎むべきだ」とし、「既にドイツのような世界の国々が実践している例がその基準になるだろう」と述べた。



朝鮮日報  記事入力 : 2006/03/01 11:31


まだドイツに見習えって言っているよ。(笑)
ドイツが周囲の国と外交が成立しているのは、偏にドイツの態度だけではなく、欧州の歴史と風土と民族、そして何より周囲の国の度量に寄ることも多い。
つまり、ドイツが周囲と付き合って行けるのは、あれだけのことをしても、許せる国が周囲にあるからこそで、60年経った今でも、ブチブチ叩かなければ自分の地位が危ない、どこかの国が隣国に無かったからだ、と言う事実も是非知っておかなければね。>ノムヒョン君

まあ、もちろん、ドイツが全く戦後をムダに歩んできたとは思えないが、結局はヒトラー個人とナチスに責任をかぶせて、国家間では謝罪も賠償もしていない、それも1つの外交の道だが、それを見習えと言うのはまさに自分の歴史的無知をさらけ出しているようなもの。
日本も、トージョー一人の責任にして、国家間の謝罪や賠償をなくしておけば良かったんでしょうな。
日本には、「隣の花は赤い」と言うことわざがあって、戒めている部分がありますが、韓国には無いのかな?


ともかく、韓国は、日本に正しい歴史認識を持つように盛んに言っているが、自分達が冷静な目で、自分達の歴史を振り返ることが出来ないのに、他人の事だけに口を突っ込むのは、「お前は小学生かっ!」ってツッコミを入れたくなり、笑ってしまう。(笑)

 
まあ好意的に見れば、確かにこの日は独立運動の記念日だ、国民を鼓舞したような演説は欲しいところだろう。
しかし、この盧武鉉は反日として、日本を叩くことでその国民の士気、支持、人気を得ようとしている・・・と言うか、それしか出来ないのは、政治家としてあまりにも小さい。

日本でも野党は、与党の失敗や、批判や反対だけで、肝心の政策論議が出来ない政党があるが、そこは政党としての能力の限界を、ただ露呈しているだけで、個人的には何の価値もないつまらん政治家だと思うが、それと同じような印象を受ける。

日本は少なくとも、韓国に対してあれほど露骨に、一方的に批判や内政干渉などした覚えはない。
ならば、もっと前向きな意見でもって国民に訴え、お互い歴史の出来事を乗り越えて行くことを考える政治家なら、韓国であっても応援したくなるが、世界の中の韓国を見ているのではなく、半島の中の韓国の小さな満足を目指す人に、どれだけの好感、支持があるだろうか。

ま、日本の政治家も同じようなものだが、少なくとも、韓国や中国に対して、彼が日本に対して発信するほどの悪意を持った演説や発表をしないだけも、まだマシだと思える。


 


盧大統領、日本に「謝罪に相応しい行動」を求める


 盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は1日、第87回3.1節(独立記念日)記念式で韓日関係について言及した。


 盧大統領は「日本は既に謝罪した」とし、「我々は何度も謝罪を求めない。謝罪に相応しい行動を求めているのであり、謝罪を覆すような行動に反対しているということだ」と話した。


 盧大統領は「私は、多くの日本国民の意思もこれと違わないと思う」とし「我々は日本国民の良心と歴史の大義を信じ、根気よく説得し要求する」と力説した。



朝鮮日報 記事入力 : 2006/03/01 11:35

なるほど、「謝罪を求めない」この言葉だけは受け取っておきましょう。
問題は、「補償、賠償も求めない」のかどうか知りたいですよね。(笑)

彼らは、謝罪など求めないと言っていますが、明らかに彼ら自身が心から謝罪など必要としていないのは、見ていて分かりますよね。
私は、今まで韓国は日本に対して、「謝罪はいらん『誠意』を見せんかい!」と言ってきたと思っています。(笑)
要は、謝罪などの言葉や態度では、腹も欲も膨れん、問題は誠意や、と言う事でしょうか。

「誠意を見せんかい!」って、伊丹十三監督の作品で「ミンボーの女」でヤクザが持ち出す、常套句でしたよね。


謝罪はいらん、靖国神社など参拝するな、歴史教科書をもっと韓国よりの歴史に変えろ、オレの言うことを聞かないと、首脳会談など開かないぞ、竹島の領有権を主張するな、日本海ではなく韓国海だろうが、在日外国人に参政権を与えろ、靖国に変わる慰霊施設に予算を組み込め・・・まだまだある、韓国のワガママを謝罪はいらないから、受け容れろ、ってなモンでしょうか。

我々は、日本には謝罪に相応しい行動を求めている、つまり、これらの要求を呑まない限り、謝罪に相応しい行動とは言えない、ってな事を本音で思っているけど、言葉に出して言えないので、「謝罪はええから、誠意を見せんかい」と言っているわけですね。(笑)

 
韓国ってのは、中国と違って明らかに態度、考え、姿勢全てがおかしいですね。
だから、オバカな事を言っても、中国ほど取り上げてこなかったんですが、昨年もそうでしたけど、今年も年に一度の「憂さ晴らし演説」で笑ってあげるのも、せっかく日本にメッセージを届けようとして頑張っているノムヒョン君に、敬意を示す意味でも、そのぐらいはしてあげてもいいかなと。(笑)

以前は、日韓WCの頃は韓国が嫌いになりましたけど、今は、超越した存在となっており、どうでも良い存在となっている気がします。(笑)
恐らく、今夜は日本中のブログで、今回のノムヒョン君の演説をサカナに、盛り上がっている諸子が多いことでしょうな。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2006年2月 | トップページ | 2006年4月 »