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2 25, 2004

思いこみの激しさ

2月24日の朝日新聞の声の欄に、このような投書が載っていた。

 日本の危うさを実感した一日

14日の新聞を開き慄然とした。「政府公報-防衛庁」として、「自衛隊は人道・復興支援活動を行います」と全面広告が載った。他紙でも載った。
私は先月、本紙に載った「私たちは戦争に協力しません」という意見広告に賛同した一人だ。5118人がお金を出し合ってやっと実現した。政府はなぜ多額の税金を使って広告までするのか。

<中略>

その夜のテレビニュースでは、海上自衛隊の大型輸送艦が「軍艦マーチ」の音楽に送られて呉基地を出港する場面が映され、耳を疑った。過去への戦争の反省など全く感じられない。
この一日だけでも、現在の日本がいかに危険な道を進んでいるか、思い知らされた。
平和と民主主義が守られてこそ、一人ひとりの暮らしが成り立つことを忘れてはならない。

 2004年2月24日 朝日新聞 声の欄 広島県 57歳 主婦


 
これを読んでいて、「全く、やれやれ」と言う感じだ。

確かに、税金を使ってまで新聞に広告を出す事に対しては、私もおかしいと思うので、賛同しよう。
しかし、それもこれも、この57歳の主婦のような思いこみの激しい人間が、日本にはゴマンといるからであろう。
小泉首相は、何度も何度もイラクへの自衛隊派遣に関しては、「戦争に行くのでは無い、人道・復興支援に行くのだ」と説明しているのにも関わらず、各所で「戦争に行く」と思われている。

例えば熊本では24日、平和を願う女性の会が自衛隊のイラク派遣反対を訴えるデモを行った。
「私たちは、こどもたちを戦場に送るために産んだのではありません」「イラクの子どもたちに、人々に、銃を向けないでください」と訴えたそうだ・・・
イラクに自衛隊が行くのは、子供に銃を向けるためですか? 復興支援と言う日本語理解できますか?
戦争だなんて、私も大反対です。 でも、イラクに戦争に行くわけではない事を知っていますので、戦争反対と自衛隊派遣がどう結びつくのか、さっぱり分かりません。


冷静に見つめなおすと、政府が呆れて頭を抱える理由が分かるだろう。
あれほど「人道・復興支援に行く」と言っているのに、理解できないのか、理解する能力が無いのか、日本語が分からないのか、それとも、理解したくないのか、復興支援に行くのがマズイのか。
そう、まるで私から見れば、反対にどうしても自衛隊に、イラクに戦争に行かせたがっているとしか思えないのです。
これは、全国各地で見られる光景です。


人の言葉を信じる、信じないは、まあ個人の自由だろう。 小泉首相の言うことなんか信じられない、そう思っても問題ない。
しかし、言っていない事を言ったかのように、事実をねじ曲げ、妄想で自分勝手に問題を広げ騒ぐのが正しいとは思えない。

だから、政府は新聞広告まで使ってでも、「人道・復興支援」に行くと国民に知らせているのだから、いい加減に戦争反対などのトンチンカンな思いこみを解けば、何も政府も税金を使ってまで広告など出さなくても済む話なのだ。
税金を使ってまで広告を出すハメになったのは、なんて事はない、この投稿者自身の存在によるのだが、性質が悪いのは、本人がそれに全く気づいていないことだろう。

現に、この投稿者も「人道・復興支援」に向かう大型輸送艦の出港で、どうして先の大戦の反省の話しが出てくるのだろうか。先の大戦の軍艦の出港は、確かに戦闘の為の出港だが、今回はイラクの国民の為の出港であり、「頑張って来てね」と応援する事はあっても、先の大戦を連想し、ひとりで日本は危険だと嘆いている。
そのうち、自衛官の姿を見るだけで、戦争だと叫ぶかもしれないほどの勢いだ。


私から見れば、危険なのは日本よりむしろ、この思い込みの激しい日本人だと思える。
言っていない言葉でも、自分勝手に連想し、目的が違う行為に理解を示すよりも、まず生理的な憎悪という色眼鏡で物事見てしまうが為に、正しい判断が出来ずに、独りよがりの結論を下し、的はずれな非難をする人の、なんと多いことか。
軍部の暴走や、戦争への拡大の危惧をするならば、もっと冷静に問題を捉える必要がある。
頭ごなしに、感情論だけで物事を判断する事は、大人のやることではないだろうね。


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