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2 18, 2004

目的のための手段

健康のためなら死んでもいい!

ある場所で、「健康のためなら死んでもいい!」と言う言葉を始めて聞いた。
こんな言葉があるとは、恥ずかしながら知らなかった私は、妙にこのフレーズに笑ってしまった。

要するに、目的のために、結果が逆転しちゃう、本末転倒の典型的な例と言う事ですね。
確かに、廻りを見渡しても、そんな人いるいる。


例えば、この間も反戦を訴えて、杉並区の公園の公衆便所に落書きした男性の裁判があったが・・・
男は公共施設に落書きした行為に対し、「内容が反戦のメッセージだったために、通常あり得ない起訴がされた。政治的理由による起訴であり、無効」と訴えたり、判決理由の朗読が始まると、証言台のマイクの一部を裁判官に向かって投げ付け、退廷を命じられ、職員に取り押さえられるとスプレーをまいたりしたそうだ。
つまり、やることがムチャクチャで、まるでガキ。

しかしネットで検索すると、意外にこの落書き事件について、この男性を擁護する声が多いことに驚く。
反戦を訴えることが悪いのではなく、訴えた行為が問題なのだが、その事に気づかないのだろうか。
私から見れば、反戦趣旨であろうが、自己満足の落書きだろうが、迷惑千万なことは同じで、犯人は逮捕して裁判にかけられるべきもの、そう考えている。


反戦を訴える落書きは、許されるべきなのですか。
他にも落書きがあるので、落書きは許されるのですか。

そのほかにも、環境保護団体のグリーンピースなどは、自分たちの主張を訴える、公表するために、不法侵入を行い、ものを盗み、捕鯨などでは船をぶつけて妨害しようとしたり、かなり過激なことをする事で有名だが、彼らもまた、目的が逆転してしまい自分たちが法を犯していることに気づかない、もしくは、環境保護は正当な理由で犯罪行為も許される、そう思っている辺り、まさに健康のためには死んでもいい、ってなパターンですね。


くどいですが、運動そのものは問題ないのです。
反戦活動も、自分の家の塀に書き、自分の車に落書きして走り回ればすむことで、他人の所有物や公共施設に落書きすることが、許されない行為、この区別が大事。

彼を擁護するHPに、言論弾圧で最近の日本の急激な右傾化を憂う、みたない事が書かれていますが、目的のためには手段を選ばず状態になっている、その程度のことも気づかないほど、この問題にのめり込んでしまうのは、
何だかすごく右傾化よりも、彼らに危険な香りがするんだけどね。

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